あーたろのゆるりと。

日々のことやら伝えたいことやら

小林さんとガンというもの。

 

最近、ニュースで毎度のように取り上げられてる小林麻央さんの死。私は、心が辛くなりそうで今まで全く見ていませんでした。

 

今日の昼。と言うかつい先ほど、アッコにおまかせで淡々とただ事実を伝えるように私達は下手な言葉は言えないと言いながら報道してるので初めて小林麻央さんの死に関する報道をきちんと見ることが出来ました。

 

小林麻央さんのブログを紹介していて「病気の娘でごめん」「病気の母でごめん」「病気の妻でごめん」と書かれた記事の一文が心にグサッときました。

 

私は、癌ではないけど病気です。メンヘラなんて言葉を使うと軽く感じられるかもしれないけど病気です。家族にごめんなさいという気持ちは時折出てきます。そんな私の心にグサッと突き刺さりました。

 

 

さて、癌と聞くと私は、祖父を思い出します。祖父は癌でなくなりました。

 

先日、小林麻央さんの死を知った方が「癌ってこんなに早く死ぬの?」という発言をしてるのを耳にしました。癌でなくなった方が身近にいなければそんな感想も出てくるのかも知れません。

 

小林麻央さんの場合は、多分、報道される前から癌を発病しており、闘病してたと思います。その点もこんなに早くと思う理由の一つかも知れません。また、小林麻央さんは若いです。若いとガンの進行は早いです。なので余計に亡くなるのが早かったのかも知れません。

 

 

また、癌には種類があります。種類によって進行のスピードも違います。私の祖父は凄く進行の早い癌でした。癌が発覚した時にはもう、余命宣告をされました。一ヶ月です。当時、12月だったこともあり今年いっぱいまで生きられるのか分からないと伝えられました。

 

後になって家で「余命宣告一ヶ月の花嫁」という映画を見ていた時に余命宣告のシーンで「週単位で考えてください」と医師が言うシーンがあります。それを見て母は「おじいちゃんの最初の時も同じこといわれた。週単位で考えてくださいって言われた。」と言ってました。

 

祖父は余命宣告を受けて少したった頃、元々入院していた総合病院から癌専門の病院にうつりました。それからそこで入院し、たまーに医師から許可を貰い家に帰って来たりもして数年生きました。

 

私達家族はこう思いました。最初は余命一ヶ月なんて言われたのに、何年だ?数年、こんなにも生きれたんだもん。おじいちゃん凄いよ。いい病院にうつれてよかったね。と。

 

祖父が亡くなる前頃から常に病院に家族や親戚の誰かしらが泊まって誰かしらが病院にいる状態でした。

祖母は特に何度も泊まり、常に祖父を見てやりたいという気持ちだったのを当時社会人なりたての私でも伝わってきました。憎まれ口ばっかり言いつつもやっぱり最後は看取りたかったし、少しでも一緒に居たかったんでしょう。

 

ですが、何日もずっと病院で祖父を見つつ仕事もしていた祖母は倒れるんじゃないかと言うほど痩せており周りは心配で、祖父の調子が良さそうな時はなるべく他の人が祖父をみるようにしていました。

 

ある日の朝のことです。泊りがけで祖父の様子を見ていた叔父が祖父の様子を見て今日は、大丈夫そうだから母さん(祖母)は来なくても大事だよ。と病室を出て家に伝える電話をしてきました。これは今までもあった普通の光景でした。

 

でも、その日は一つ違うことがあったのです。電話をしてる最中に祖父の病態は急変して亡くなりました。

 

電話をかけに病室を出るまで祖父は元気だったと叔父は言います。

多分、叔父が1番辛いでしょう。大丈夫だと思って病室を出なければせめて、死に立ち会えた。祖母を呼ぶべきだったかもなどと自分を責めたと思います。

 

癌とはそんな病です。

さっきも言いましたが私達は家族の中では数年、生きれたんだ、祖父はすごい。そんな感じに思っております。

 

亡くなる時は人間必ずしも訪れます。祖父はそれがたまたま癌でした。正直に言って亡くなるにはまだ早いと言わたような年齢でした。それでも亡くなりました。

 

小林麻央さんと比べれば若くはないですが。

 

小林麻央さんのご冥福を祈ってこの記事はこれで締めさせていただきます。