あーたろのゆるりと。

日々のことやら伝えたいことやら

近づく夏

満開をすぎた桜は散った。でもまだ春は続いてる。ヒノキの花粉は未だに飛び続けてる。それでも春の次は夏が来る。

 

田んぼには田植えの準備のために水が張られ始めた。

田んぼに水がはられると夜にはカエルの大合唱が聞こえる。

あぁ、すこしづつだけどあ夏が近づいてきたなと実感する。

 

 

夏は昔から人恋しくなる。

2年前の夏に私はメンタルを大爆発させた。あれからもう2年経つのか。早いな。

爆発のきっかけとなった元彼から今になって謝罪と恨み続けてくれというLINEがきた。反応に困る。なんて返していいか分からないまま、既読をつけて時間が経った。正直、まだ返すべきか悩んでいる。

 

こんなブログを書いてる時もカエルの大合唱は続く。夏が近づく。

 

去年の夏はどう過ごしていたかな?と思い返してみた。

確かプールに行こうと思って楽しみにして結局プールに行かなかった。

今年はプールに行けるといいな。泳げないけど。

 

そうやって前向きに考えようとするけれどやっぱり夏が来るのはなんだか怖い。

今年の夏はどう過ごすのだろう。

 

 

そういえば、夏といえば夏あたりに傷病手当金の配給の期限が終わるなぁ。仕事…………できるかな?

 

夏の特番はホラー番組だらけ。ホラーの苦手な私には辛い。

 

 

色々なことを胸に今年も少しづつ夏が近づいてくる。なんだかんだ言ってもやっぱり憂鬱だなぁ。とりあえず、死なない程度にやっていきましょう。

おはよ おーはよー

今日は、朝早くに起きた。

そのまましっかりと洗顔して目が覚めた。

 

頭の中では初音ミクさんがおはよ おーはよー 会いたかったの君に おはよ おーはよー って歌ってる。これ、曲名は何だったかな?覚えてないや。でも、可愛い歌だよね。

シーラカンスのしっぽに おはよ おーはよー なんて何に挨拶してんだ?って感じもするけれど可愛い。

 

清々しい朝を感じた。こんなの久々だ。でも、清々しい朝はいいもんだな……なんて思う。

 

 

 

洗顔して時間が経って眠くなってきたけどもうすぐ好きなバーチャルYouTuber(?)の東雲めぐちゃんのSHOWROOMでの朝配信が始まるからそれ見て寝れたら二度寝しようかな。そんな朝。。

ゆるりと

なんだかゆるりと落ちて言ってる気がする。


幸せは一瞬、落ちれば戻るまでにどれくらいかかるのだろう。今回はどこまで落ちていくのだろうか。

いつもはずどーんといきなり落ちることが多いのでゆるりと落ちていくのはどうなるか想像ができない。


そんなに落ちないで済むかな?落ちてもすぐ上がれるかな?分からないけれどそうだといいなと思う。



ゆるり、ゆるりとだけれども確実に落ちて言ってる。今日はなんだかご飯をまともに食べたくなくてみかん1粒と仏壇に飾ったあとの小さなおぼくさんを一つだけ食べました。

食欲がないのかよく分からないけど食べたくないって気持ちが強くて。親に、祖母に食べろと言われたのをただをこねてそれだけにしてもらって。


今はお布団の中。珍しくテレビもつけてない。あぁ、外から鳥の鳴き声がきこえるなぁ。

そんな昼下がり。

されたことはなかったことにはできない。

記憶から消すことはできない。

 

だから私は父と親子になろうとしても父のことは許せない。

許せないままきちんとした親子関係を作ることはできるのだろうか?そもそもきちんとした親子関係ってなんだ?世間一般の父親と娘ってどんな関係なんだ??そんなことも分からずにきちんとした親子関係なんてもの作れるのか?

そんな疑問が私の頭をよぎる。

 

 

私の記憶は正しいのだろうか。時々不安になる。はっきりと覚えてるあのこともうっすらと覚えてるあのことも自分の記憶に100%の自信が持てない。

父の言った通りただの妄想なのかもしれない。周りの子の言うことが正しくて自分の覚えてるものが私の作り上げた物語かもしれない。そう思うとすごく怖くなる。もしかしたら私の記憶は殆どが間違ってるのかもと疑心暗鬼にさえなる。

 

貴方は自分の記憶に100%の自信がありますか?きっとあるよね。誰かと自分の記憶が違ってるなんてことないんだろうな。そんな凄いものをみんなは当たり前に持ってる。凄い。凄い。とても凄い。そんなの私には想像出来ないなぁ。私もそうだったらもう少し生きやすいのかな。分からないや。そりゃそうだ、自分の事じゃないんだもん。普通にわからないよ。

握手会

握手会というものに初めて行ってきた。
推しの握手会。



服装もお洒落してメイクも頑張って最高に可愛いになるためのメイクをした。この日のためにしていたダイエットも効果が出てた。いつもはほとんどしないヘアアレンジを前から練習して可愛くできた。自分の中で自分としては最高に可愛いになれた。



行く途中の電車で色々なことを考えた。
時間の計算を間違えて早く着きすぎて握手会会場の本屋で時間潰した。
潰しても潰せきれない時間を無理やり潰した。

何度もトイレに行って髪型や服装がおかしくないか確認した。リップも塗り直した。


握手会の時間が近づくにつれて握手会目当てっぽい人が増えてきた。ドキドキした。緊張した。まだ早いのにね。


整理番号ごとに〇〇番までの人、ご案内してますと呼ばれて、それからだいぶ待った。待ってる間にスタッフさんに差し入れはどうしたらいいか聞いた。早く知っておかないと不安だった。


待ってる間、大きな音の音楽が流れて別に大きな音は苦手ではないはず、むしろ慣れているはずなのに何故か苦手意識を感じた。

順番が少し近くなると案内の声をかけるお兄さんの近くに待機をして、
自分の整理番号を超えた〇〇番までご案内してますって声が聞こえた瞬間に案内の列に入った。階段で並んだ。クアトロっていうライブハウスでも階段で並んだなぁ・・・なんて高校生の頃を思い出した。


私の前には多分、グループで来てる人達がいて、その人たちの話し声が聞こえてきた。
私、話すのことめっちゃ考えてある。誰よりも話すこと考えてある。なんて声が聞こえて、そっか・・・話すんだ。話せるんだ・・・何話そう・・・なんて思い話すことを考え始めた。


並んでる最中に、折り返しで本人は見えなかったけど握手会場とポスターがチラッと見えてなんだか嬉しさで泣きそうになった。

話すことも纏まらないながらも、考え出してそのうちに順番が来た。案の定、泣きそうである。チラッとポスターが見えただけで泣きそうになったんだから順番が来たらそりゃ泣きそうになる。


今回はチェキが撮れるというもので、チェキを撮って握手という流れだった。で私は、握手のこと、話すことで頭がいっぱい&嬉しさで泣きそうでチェキは握手の後だと思い込んでたから、はいこっちー、写真撮りますよーって言われて内心、あっ、えっ、あっ、、、ってなった。


内心の気持ちが出てたんだろう。「動き、おかしいけど大丈夫?」みたいなこと言われてしまった・・・。「嬉しくて、泣きそうで、ずっと好きで・・・」 とかなんとか言ってなんとか話せたけど、多分言葉とかぐちゃぐちゃでギリギリ言葉として日本語を話せてたぐらいだろう。並んでた時に何を話そうとか考えてたことはほとんど話せなかった。



出来上がったチェキを見ると最高に可愛い髪型に最高に可愛いメイクをして行ったのに泣きそうになってるの抑えてるから全然最高に可愛いじゃない。



それでも、推しにあんな至近距離で会えて喋れてツーショットなんかも撮れちゃってもう、本当に嬉しかったし、なんだかもうありがとうございます、ありがとうございますって感じになった。


推しに会えた。至近距離で。ツーショットが撮れた。もう、幸せしかない。有難い。幸せ。最高。最高すぎる。本当に幸せ。



顔は泣きそうで酷いことになってたので隠す。
山崎くんと同じように両手でピースしたけど私の片手しか映らなかったw
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ファンレター

前の記事から毎日ブログ書こうと思ってたのに気がついたら今日だ。あれ?おかしいな?早くない?日が過ぎるのが早くない?早くない?早いよ。最近、日が過ぎるの早すぎて私、ついていけてない。早すぎる。

おかげでえ?もう予定の日??早くない?が連発してる。私がこのところ半日寝てばかりだからだろうか?え?それにしても早くない?早くない?皆さんどうですか?早くない?(7回目。早くない?っていいすぎ。)

 

 

さてさて、前置き(?)はここまでにして本題を話そう。

タイトル見て分かる通りファンレターのお話だ。うん、わかりやすいタイトルだね。

 

最近、ファンレターというものを書いてる。

ファンレターを書くのは初めてだ。下書きの下書きの下書きから始めた。

ここに来るまでに伝えたいことがありすぎて、でももし読んで頂けた時に負担にならないようになるべく長すぎないようにしたい。でも、下書きを増やすにつれて書きたいことが増えてしまっているし、削れる部分が見当たらない。結局、下書きまで書けたけど長くなってしまった気がする。

 

ずっと大好きででもこちらから伝えることはなかったから余計にだ。

便箋2~3枚で収めたいのだが収まるだろうか……。理想は便箋2~3枚なのだが……。

 

 

いつも、手紙を書く時は一発書きしてるので、下書きの下書きの下書きなんて今までだと考えれない。でも、納得した内容を間違えないで書けるようにしたいから頑張ってる。だけど、間違えてしまいそうだ。気をつけなければ。

 

 

下書きを書いていくにあたって、ファンレターってどう書くの?と思って調べたりもした。そこまで参考になるのはあまりなかったけど全くなかった訳では無い。

 

封筒の裏に書く送る側の人の名前を書くところは名前だけにしようと思ってたけど、知りもしないどこの誰から送られてきたか分からない手紙は人によっては不安になる、住所書いてあった方がいいと聞いてあぁ、なるほどなぁと思って住所を書くことにした。

 

あと、長すぎると読み手に負担が……というのを見てあぁ、確かに。なるほどなぁ。と思った。だから長くならないようにしたい……したい……。したい気持ちはあるの……。でも長くなりそう……。負担にならない長さにしたいんだけどなぁ。難しい。

 

あと、イラストを書くってのは思いつかなかったけど検索してて絵を書くのもありかなと思った。でも、そこまで絵が上手いわけじゃないし絵を書く時間もないし絵を書く紙はあるのか……?となっている。助けて……。いや、助けてじゃない。自分でやらなきゃ意味が無い。自分で自分の気持ちを伝えるために。

 

 

 

そう、自分で自分の気持ちを伝えるために。頑張って書くのだ。絵は、余裕あったら書こう。それでいい。まずは手紙だ。頑張ろう。自分の気持ちを伝えるために。

 

田舎の小さな病院

 

 

私の地元はド田舎でとはいっても普通の内科的な病院はふたつあって、片方は何処にでもあるクリニック、もう片方は田舎らしい昔ながらの小さな病院。

 

 

どちらも行ったことはあるのだが、私は後者の病院が好きだった。

 

昔ながらの小さな病院は木造で、先生はえ?この人現役なの?ってぐらいのおじいちゃん先生(注射する時とか文字書く時とかいつも手が震えてる)とその息子の若先生(若先生といっても手が震えるようなおじいちゃんの息子なのでもちろん若くない)。患者はじいちゃんばぁちゃんしかいなくて、若い人がいるのは見たことないレベルだった。そのじいちゃんばぁちゃん達も風邪になったからとかではなくて、多分毎週通院をしてて足や手がちょっと悪いとか自分の体調を診てもらうためとかに来てて全然病気っぽくないし、むしろその年にしては元気なじいちゃんばぁちゃん達だった。

 

 

待合室の真ん中には机があって冬にはコタツになってた。そこで順番を待ってるじいちゃんばぁちゃん達がいつも世間話してた。病院の待合室と言うよりじいちゃんばぁちゃん達のたまり場みたいだった。

 

 

昔ながらなの病院は受付方法も昔ながらで、受付にいる看護士さんに来た要件を伝えて受付の台の上に置いてある木札を上からとる。というものだった。木札には手書きの番号が書いてあってこれが、診察の順番を表していた。

 

とはいっても、次の人になると番号を呼ばれるわけじゃなくて診察室から次の方どうぞ〜と呼ばれるだけ。

田舎なのでじいちゃんばぁちゃん達が「あんた、何番?私より先だね」とか「あんた番だよ」とか伝えあって順番を確認したり教えあったりしてた。

 

私が病院に行く時は大体、高熱で吐き気が止まらない様な時だったから母に付き添われて辛そうにしながらいく。辛そうってか実際に辛かった。

当時、私はまだ子供だった。子供が辛そうにしてるとじいちゃんばぁちゃん達は、「あんた、何番?私よりあとだねぇ。辛そうだから、次行っていいよ」とかいって順番を譲ってくれる。(木札……?そんなものあってない様なものだよ。)

おかげであまり待たずにすぐに診てもらえる。有難い。

 

子供じゃなくても辛そうにしてる人がいると順番を譲るのが当たり前のような感じだった。あと、多分、来てたじいちゃんばぁちゃん達は世間話ができるし家に帰って仕事もなく1人より病院で長居してた方がいいんだと思う。

 

 

診察室は診察室の入口に入ってすぐの所とその診察室を通らないと行けない奥の部屋とあった。どちらも中庭が見えて季節を感じられてその景色が私は好きだった。特に奥の診察室は窓がでかくて窓を開けると縁側になるような作りで外の景色が良く見えて好きだった。また、奥の診察室で診察をしてることは少ないのにプラスしてあってないようなものである順番で奥の部屋に当たらないと入れないのでレアだったのも好きだった理由の1つだったかもしれない。

 

 

先生の診察も昔ながらで私が謎の腹痛で病院に行った時の診察は痛いとこの周辺や背中、痛いとこの反対側を先生に手でおされて「ここは痛い?」「これは?」ってのを繰り返して結果、先生に内蔵が本来の位置より下がってるねーなんて言われた。検査らしい検査もなしで。

 

インフルエンザの検査も道具がないからとか言ってしてなくてインフルエンザっぽいと最初に書いたもう一個の病院に検査してもらいに行きなね〜って感じだった。インフルエンザの検査する道具ぐらいは用意してくれよ……w

 

 

病院が昔ながらならば薬も昔ながらで受付の部屋が薬剤室と兼用になってて看護士さん?が調合した粉薬を1回分を薄い紙に包んでそれを処方された分だけ薬の袋(それは普通)に入れて受付で渡してくれた。

 

 

そんな病院も何年も前に改装工事をして綺麗なバリアフリーの病院になって、カルテも手書きだけじゃなくてパソコンも使われるようになった。

 

おじいちゃん先生は亡くなったので若くない若先生とその息子のそれまた若くもない若若先生の2人やってる。

 

受付で木札をもらうことも無くなって順番になればマイクで名前を呼ばれるという普通の病院になった。

待合室も椅子がたくさんあってコタツは無くなって、若い人も普通にいる。

 

診察の仕方もいくつかの検査が出来るようになってレントゲンもとれるようになったし、なんだかよく分からない機械もあってそこで寝て治療?をして帰るじいちゃんもいる。

 

薬も受付で渡されるのは変わらないが看護士さんの調合したものでも紙に包んだものでも無くなって普通の病院で処方される薬に変わった。

 

大好きだった中庭も見えなくなった。

 

 

同じ病院なはずなのに全く別の病院の様に変わってしまって悲しい。

今では、幼い頃から良くしてくれた看護士さんがまだいることが唯一の癒しだ。