あーたろのゆるりと。

日々のことやら伝えたいことやら

父と私の話。

今回は暇なので父と私の話をしよう。

父は田舎の長男だ。そして、私のひいじいちゃん、ひいばあちゃんにあたる人からしたら初孫だ。それはそれは、大切に育てられた。大切にやりたいことをやりたいようにやらせてもらいながら育った。
なにせ、大学を4年間通い、出席日数が足らないとくだらない理由で自主退学をした高卒だ。あぁ、お金がもったいない。


そんな父は自分の思う通りにならないのが凄まじく気に入らない。外面はいいのでもしかしたら家の中でのこと限定かもしれないが。とにかく家では自分の思い通りにならないと凄まじく気に入らない。気が済まない。

そして、大切にとはいってもうちの父の両親はは共働きであった。忙しい。とにかく忙しい。その結果、普通の家庭より放任されている。そして、父の子育て論はこうなった。「子供はほっとけば育つ」。なので、私は父にほっとかれた子だ。放任というよりもはや放置。放置だ。

こうして、大切にされつつ放任という矛盾した子育てをされて育った父は家の中ではとても偉い人状態だ。


そこに娘が生まれた。父の娘だ。つまりは、私だ。
私は、父の血筋を受け継いで頑固者だ。自分がまちがってると気づいてもなかなかそれを直せない頑固者だ。
私と父はとても性格が似ている。似たもの同士だ。
だけど、別の人間だ。思うことが違うことだって多い。その当たりは残念なことに似てない。
それゆえ、父とはぶつかりあいだ。怒られてもごめんなさいを言わない頑固な私。それに対して自分の思い通りにならず気に入らない父のとった行動は暴力であった。口で分からないのなら体で分からせよう、なのだ。

これは、説教でも喧嘩でも同じだ。同じ過ぎて私、父に説教されてるのか喧嘩なのかあまり区別がつかない。

私が幼い頃、母はこんなことを思ってたらしい。
「あの2人をふたりっきりにするのは不安しかない。5分ともたないだろう」、と。
確かに、5分ともたない。何が持たないかというと説教もしくは喧嘩が始まるまでだ。そしてその行く先は父の暴力だ。そりゃ母も不安になるわけだ。

ひどい時は会話なんてしなくても持たなかった。ていうか、まともに会話なんて当時はできなかったが。無言でも喧嘩になるとは今思うとある意味凄いな。


その2人はお互いに成長した。相手を気にしない。無視するの方が近いかもしれない。
父はなるべく娘を気にしないようにした。娘は多少行儀がよくなり叱られるような行為はしだいにへっていった。父とは関わらないようにした。娘である私にとって父は恐怖の存在だったからだ。恐怖には近寄らないのが一番だ。おかげで暴力は減った。大抵は同じ部屋にふたりでいてもなんとかなっていた。なんとかならない時もあったけど。


そんな状況が私が成人して少し経つまで続いていた。そんな状況は傍から見たらどうだろう?よい親子関係とは言えないであろう。



そんな状況が続いてたある日、娘のメンタルが大爆発を起こした。メンタルが大爆発を起こした娘は今まで貯めに貯め込んでいたことを吐き出した。
そこで父は自分と娘との関係がこのままでは良くないと思ったらしい。
急に父親になろうとした。いままで放任もとい、放置してたくせに!

父親は私に話しかけるようになった。
しかし、私は、怖かった。なぜなら散々の説教や喧嘩のせいで父親と話せば暴力が待ってるというイメージがあったからだ。相手の機嫌を損ねてはいけない、父親は怖い。そんな父親が話しかけてくる恐怖心。だけどもそのなかに父親から話しかけられることに対するむずがゆさみたいなものも大きかった。
父とまともに会話したことがない父が一般家庭の父親のように話しかけてくるのだ。なんだかむずがゆい。
だって、お父さんと仲いい娘とか絶対に有り得ないと思ってたもん!!!急になかよさげにされても!!!私の心象は複雑だった。故にあまり返事をできなかった。



しかし、それが続くにつれ複雑な心境は薄れていった。今ではおはようといわれればおはようと言われればおはようと返すことが出来る。私からそんな重大でもないことでも話しかけれる。

私達はやっとちょっぴり親子になりかけれてるかもしれない。

虐待と虐待された人の話。

精神的、肉体的虐待の話をします。過去のトラウマとかフラッシュバックとかある人とか読むのご注意を。辛いかもとか思ったら途中でも読むのやめてね。私は、責任とれないので自己責任でおねがいします。苦情は受け付けません。











虐待って何なんですかね?どこからが虐待何ですかね?難しいですね。
そんな時はネットに聞いてみましょう。

スマホGoogle先生に聞いたら

ぎゃくたい
【虐待】
《名・ス他》むごい扱いをすること。「動物を―する」

と出てきました。よく分からん。強いて言うならそれは分かってるもっと細かく知りたいよ。情報少なすぎ。

ってことでWikipedia先生に聞いてみました。

虐待(ぎゃくたい、英:abuse, maltreatment)とは、むごい扱いをすること。繰り返しあるいは習慣的に、暴力をふるったり、冷酷・冷淡な接し方をすること。

具体的な内容は様々で、肉体的暴力をふるったり、言葉による暴力をふるったり(暴言を浴びせたり、侮辱したり)、いやがらせをしたり、無視をする、等々の行為を繰り返し行うことを言う。


ということらしいです。はい、やっぱり分かりません。

もしかしたら、子供が虐待だと思えば虐待だ、という人がいるかもしれません。いないかもしれないけど。
もしいるならその人に伝えたい。

子供が虐待を虐待と思うことは辛く虐待じゃないとこれぐらいは普通、たいしたことないと、思い込むことで楽になれる子もいる。
虐待を虐待と認めるということは世間的に見れば虐待してくる人を酷いことをする、ダメな人だと認めることなのだ。そして、虐待をする人はされる子、人と親しい関係、もっと言えば親子関係なことが多いのではないだろうか。つまり虐待を認めてしまえば親を酷いことをする、ダメな人だと認めることになるのだ。そんな風に認めてしまえば子供は親から愛されてないと感じる子がほとんどだろう。
それは辛いことだと想像するのはたやすい。
だから、虐待を認められない、虐待と思ってない子は多いと思う。


かくいう私も虐待されてたということを認めきることは出来ないのです。今でも、殴られたり体が投げ捨てられたり、裸足で外に出されたり、放任されたり、人格否定するようなこと言われたり、冗談とはいえ捨てると脅されるかのように言われたことは普通のことだと思うこともある。いや、これ冷静に考えて普通じゃないな。それでも、普通だと思うことがあるのです。


そんなされてたことを認めることの難しいが虐待。それをされてきた子は、人は、その人から虐待が無くなれば苦しくなくなるかと言うと違う。

人によっては普段は普通にしててもフラッシュバックで苦しむ人もいる。人によっては虐待されてきた時に親など虐待する人の顔色をうかがってるうちに自分の気持ちを無視する癖が無意識のうちについて自分の気持ちを無視して他人の顔色を伺い人他人の気持ちを優先するようになる。だが、そんなのは苦しいのだ。何十年も続けば限界が来る。精神的に病む。私のように。


虐待を過去のことでしょという人もいる。でも、された本人は過去の事じゃ済まないのだ。

虐待はそれが無くなっておしまいではない。現在進行形で虐待されている子に気づくことやそこに注目することも大事だけどその後にメンタル的なケアが必要でその事に私は、もっといろんな人に知ってほしい。

虐待がなくなっておしまいじゃないことを知ってほしい。


1番はこの世から虐待がなくなることは無理に等しいだろう。だからこそ、虐待されたその後を気にすることが大切なのではと私は思う。


それを知ってほしい。
いるか分かんないけどもしいたら読んでくれた方、読んでくれてありがとうございます。

認めてあげよう。

死にたいと言った時に「生きたいと思っても生きれない人もいるんだよ。死にたいなんて思っちゃダメだよ。」っていう人がいる。
自殺しようとするのを止めるためだろう。でも私は、そんな言葉が大っ嫌いだ。


なんで会ったことも見たこともない人の願いを叶えられないからって私が叶えりゃならんのだ。ふざけるな。いや、ふざけてないのか、あぁいう人たちは本気で言ってるのか。余計にふざけるなって思ったわ。ほんと、ふざけんな。生きたいって気持ちは正なのに死にたいって気持ちは正じゃない?ふざけんな。認めてくれよ。死にたい気持ちも認めてくれよ。

私が死にたい時にあのセリフを言われて思うのは私は死にたいのにズルイだよ。そんな事言ったら死にたい私がいるのに生きたいって思ってるやつもだめなんじゃねーかって。生きたいけど生きられない?私からしたら羨ましいわ。って。私が生きたとこで生きたい人の人生が伸びるわけじゃないし。生きたいは認められるのに死にたいは認められない。解せない。


死にたいも認めてあげて。気持ちを否定しないで。



だから、私は、私が死にたいって思った時はその気持ちは認めてあげる。そうだな、死にたいねって。できない時もあるけどなるべく認めてあげる。でも、死んじゃダメだからそうだね、死にたいねで終わり。死にたいね、死のうねにはならない。これが大事。


ブログ初めて記事三つめで攻撃的な内容になってしまった。ごめんよ。タイトル詐欺だなこれは。ごめんよ。

気がつくの遅いよ

ブログを立ち上げて数日たって気がついたことがあります。

ブログに書きたいこととメンヘラ.JPに投稿したいこと被ってる!どうしよう!

ブログ立ち上げてから気がつく。アホか。アホだ。あぁ、私はアホだ。でも、元気なアホだ。今は、比較的元気。コタツでゴロゴロしてるけど。心は元気。だからアホでも許して。

【挨拶】はじめまして。

はじめましての人ははじめまして。ブログ以外で私のことを知ってる人はおはこんにちは。あーたろと申します。

簡単に自己紹介をしましょうかね。こんな名前をしてますが、生物学上は女です。性自認はどれもしっくりこないので"見つからない"が今の私の性自認だと思っております。
昨年の夏、2016年の夏ですね。その夏に今まで溜め込んだ色々なものが溜めきれなくって大爆発を起こしました。それ以降、今までしてたお仕事を休職させて頂いております。
メンタルの病院には最近通い始めました。まだ、病名はありません。これからつくのかも分かりません。今は、家でゆったりとしながらいろいろ休憩中です。


そんな私、あーたろがブログとやらを細々と始めようと思ってこのブログを立ち上げました。

このブログでは、メンタルヘルスに関わってる方をメインに伝えたいちょっとしたことを記事にしようと思っております。


これにて挨拶のこの記事はおしまいです。また、別の記事で会いましょう。