あーたろのゆるりと。

日々のことやら伝えたいことやら

田舎の小さな病院

 

 

私の地元はド田舎でとはいっても普通の内科的な病院はふたつあって、片方は何処にでもあるクリニック、もう片方は田舎らしい昔ながらの小さな病院。

 

 

どちらも行ったことはあるのだが、私は後者の病院が好きだった。

 

昔ながらの小さな病院は木造で、先生はえ?この人現役なの?ってぐらいのおじいちゃん先生(注射する時とか文字書く時とかいつも手が震えてる)とその息子の若先生(若先生といっても手が震えるようなおじいちゃんの息子なのでもちろん若くない)。患者はじいちゃんばぁちゃんしかいなくて、若い人がいるのは見たことないレベルだった。そのじいちゃんばぁちゃん達も風邪になったからとかではなくて、多分毎週通院をしてて足や手がちょっと悪いとか自分の体調を診てもらうためとかに来てて全然病気っぽくないし、むしろその年にしては元気なじいちゃんばぁちゃん達だった。

 

 

待合室の真ん中には机があって冬にはコタツになってた。そこで順番を待ってるじいちゃんばぁちゃん達がいつも世間話してた。病院の待合室と言うよりじいちゃんばぁちゃん達のたまり場みたいだった。

 

 

昔ながらなの病院は受付方法も昔ながらで、受付にいる看護士さんに来た要件を伝えて受付の台の上に置いてある木札を上からとる。というものだった。木札には手書きの番号が書いてあってこれが、診察の順番を表していた。

 

とはいっても、次の人になると番号を呼ばれるわけじゃなくて診察室から次の方どうぞ〜と呼ばれるだけ。

田舎なのでじいちゃんばぁちゃん達が「あんた、何番?私より先だね」とか「あんた番だよ」とか伝えあって順番を確認したり教えあったりしてた。

 

私が病院に行く時は大体、高熱で吐き気が止まらない様な時だったから母に付き添われて辛そうにしながらいく。辛そうってか実際に辛かった。

当時、私はまだ子供だった。子供が辛そうにしてるとじいちゃんばぁちゃん達は、「あんた、何番?私よりあとだねぇ。辛そうだから、次行っていいよ」とかいって順番を譲ってくれる。(木札……?そんなものあってない様なものだよ。)

おかげであまり待たずにすぐに診てもらえる。有難い。

 

子供じゃなくても辛そうにしてる人がいると順番を譲るのが当たり前のような感じだった。あと、多分、来てたじいちゃんばぁちゃん達は世間話ができるし家に帰って仕事もなく1人より病院で長居してた方がいいんだと思う。

 

 

診察室は診察室の入口に入ってすぐの所とその診察室を通らないと行けない奥の部屋とあった。どちらも中庭が見えて季節を感じられてその景色が私は好きだった。特に奥の診察室は窓がでかくて窓を開けると縁側になるような作りで外の景色が良く見えて好きだった。また、奥の診察室で診察をしてることは少ないのにプラスしてあってないようなものである順番で奥の部屋に当たらないと入れないのでレアだったのも好きだった理由の1つだったかもしれない。

 

 

先生の診察も昔ながらで私が謎の腹痛で病院に行った時の診察は痛いとこの周辺や背中、痛いとこの反対側を先生に手でおされて「ここは痛い?」「これは?」ってのを繰り返して結果、先生に内蔵が本来の位置より下がってるねーなんて言われた。検査らしい検査もなしで。

 

インフルエンザの検査も道具がないからとか言ってしてなくてインフルエンザっぽいと最初に書いたもう一個の病院に検査してもらいに行きなね〜って感じだった。インフルエンザの検査する道具ぐらいは用意してくれよ……w

 

 

病院が昔ながらならば薬も昔ながらで受付の部屋が薬剤室と兼用になってて看護士さん?が調合した粉薬を1回分を薄い紙に包んでそれを処方された分だけ薬の袋(それは普通)に入れて受付で渡してくれた。

 

 

そんな病院も何年も前に改装工事をして綺麗なバリアフリーの病院になって、カルテも手書きだけじゃなくてパソコンも使われるようになった。

 

おじいちゃん先生は亡くなったので若くない若先生とその息子のそれまた若くもない若若先生の2人やってる。

 

受付で木札をもらうことも無くなって順番になればマイクで名前を呼ばれるという普通の病院になった。

待合室も椅子がたくさんあってコタツは無くなって、若い人も普通にいる。

 

診察の仕方もいくつかの検査が出来るようになってレントゲンもとれるようになったし、なんだかよく分からない機械もあってそこで寝て治療?をして帰るじいちゃんもいる。

 

薬も受付で渡されるのは変わらないが看護士さんの調合したものでも紙に包んだものでも無くなって普通の病院で処方される薬に変わった。

 

大好きだった中庭も見えなくなった。

 

 

同じ病院なはずなのに全く別の病院の様に変わってしまって悲しい。

今では、幼い頃から良くしてくれた看護士さんがまだいることが唯一の癒しだ。