私の希死念慮のひとつ。
喧嘩?をした。
私は、メンヘラを自覚するまで心を殺していきてきたので喧嘩や言い合いになることはあまり無かった。あまりと言うのは例外が2名ほどいるからだ。父と元彼。この2人だけはメンヘラを自覚する前に言い合いをしてきた。
喧嘩の経験が無さすぎて、喧嘩は分からないので喧嘩?にしとく。
この喧嘩?は最初は単なるすれちがいだっただろう。
そこから私が病んで死を考えたのが行けなかった。それでも死を考えないというのはわたしには難しいことだ。
気がついたら言われ慣れていた「死ね」という言葉。この言葉を散々言われてきたせいか分からないが私は、自分が生きていることを許せなくなったり死にたくなったり死ぬべきではと思えたりする。
その癖死ねてない自分には嫌になることが多い。
死にたいという言葉を発せないのは私にとって実行に移すしかない、自殺するしかないになってしまう。
本当はこの言葉が良くないと分かってる。それでも、この言葉以外にそうする方法は私には分からない。
死にたい。気がついたらずっとそばに居る言葉だ。
時には死ぬべきだという言葉も私のそばにくる。
時には私が生きてる事が酸素の無駄遣いをしてるようにも思えるし、時には私が生きてる事が私に関わる全員にとって良くないことに思える。
辞めてくれ。辛くなるだろ。
死にたい、死ぬべき、その言葉が嫌で仕方ないならフォロワーさん方皆さんにはフォローを外すなりブロックするなりしてくれ。それしか言えない。
死にたいと言う私を許してとは言わない。
嫌ってくれても構わない。ただ、私は死にたいの気持ちをうまく隠せない。頭の中がそれでいっぱいになってしまう。
苦しい。言いたくて言ってるわけじゃない。ただ出てきてしまう。
この言葉が人を傷つけることもあるのも知ってる。
それでも出てきてしまう。頭の中がそれでいっぱいになってしまうんだから。
嫌いになるなら嫌いになってくれて構わない。
私は、死にたいからの逃げ方をまだきちんと見つけれてない。