あーたろのゆるりと。

日々のことやら伝えたいことやら

私の家族という名の仮面。

一部、暴力表現、人格比定の表現があります。ご注意を。












私の家族は家族だ。れっきとした家族だ。


だけどそこに私は、入らない。私以外の家族が家族で私は入らない。

別に血が繋がってないとかそういう話じゃない。


家族の輪に、人間関係に、私は入れなかった。それだけだ。



私は母と父が結婚して1年後、産まれてる。つまり、結婚してすぐの時にできた。

両親は別にその時に子供が欲しいとはおもってなかったらしい。たまたま妊娠したから産んだらしい。



しかし、母は公務員一家の実家から自営業のこの家に嫁に来て一年しかたってない。実家と何もかも違う。日々の仕事、家事、そういった生活に慣れてなかった。それをこなすので精一杯のはたやすく想像がつく。


公務員はそれなりに働けば給料がでる。それなりに働けばしゅっせもまぁ、頑張ればできる。
だが、自営業は違う。お金が欲しければ欲しいだけ働かなくてはならない。週に1度ある休みの日はお出かけついでに仕入れや家で経理をする。
そうして働いてやっとお金が入るそこから人件費、電気代、来月の仕入れに使うお金その他もろもろが出ていく。真逆の職業だ。

母はよく「自営業は働けば働いただけお金が入る」という。しかし、そのお金は相当儲からない限りいくら働いても一般のサラリーマンの貰える額なんて手に入らない。だけど働かなければお金は当たり前だが入らない。
実家にいた時のギャップに慣れずにいた。


そんな時に子供が生まれた。
生まれたのはいが子供の面倒を見る余裕なんてあるわけない。私を寝かしつけてたのは近所に住みよく家に来てた来てる祖母の弟らしい。風呂は祖父がいれてた。

母の余裕のある時でも一緒に住む祖母が世話を見ててあまり母には面倒を見せてもらえなかったらしい。



さて、母の話をした後だし父の話をしよう。
父は男兄弟で家族の中に女は祖母しかいない。しかも、その祖母の性格や性質的なものは男っぽい。と言うか漢とかいておとこと読むタイプだ。

そんな家庭で父は長男として生まれた。昔の田舎の長男といえば後継として甘やかされつつ大事に大事に育てるものだ。父もその例外ではない。そのおかげで自分の言う、思うことが主に家や親戚の中で通じなかったり言うことを聞かないと気に入らない性格に育ってしまった。

外面は良いらしので外では上手くやっているのだろうが。



実質的には男しかいない家庭で大切にされ育った父だ。そんな中に女の私が生まれた。接し方もわからなければ育て方なんて分かるわけが無い。故に父の選んだ選択は私を放置するだ。


しかも、私の父、家族の集まる夜にいないことが多かった。いる日のが希だ。その上、うちの家は近所の人がよく家に来てた。父より夜、家にくるおじさんがいたぐらいだ。
チャイムを鳴らさずに入ってくる親戚の人もいた。その人はうちの冷蔵庫から普通にアイスとか出して食べていた。(今思えばアイツ、ひとの家なにしんてんだっ!って感じだ。)

今思えばそんな父に対する幼い私のイメージは、なんかよく私の家で昼寝してる「お父さんというあだ名の近所の人」だった。家族と認識すら出来てなかった。当時、同居してた叔父の方が家族と認識出来てた。


しかし、そんな父でも親だ。親は子供が悪いことしたら怒らなければとは思っていたのだろう。しかし、私は、素直に1度で言う事聞けない子だった。父は1度で言うこと聞かないやつには体に覚えさせるしかないという思考回路だ。
つまり、1度の注意で言う事を聞けない私には、父から怒られる度に暴力が伴った。それが虐待なのかは分からない。分からないけれどそんなことは今は関係ないので置いておこう。


うちは祖母、祖父も同居してる。いわゆる三世帯同居とやらだ。

ちなみに叔父も同居してる。してた時期としてない時期とあるが今回はそんなことはどうでもよいとしよう。ややこしいのでね。


そして、うちの父と母と祖母は自営業を営んでいる。
祖父はなんか、企業してその会社?を大きく成長させていた。(祖父は凄い、尊敬する。)
叔父は当時、一般の会社で働きながら自由にしてたからよく知らない。
サービス業の家族の土日は忙しく私は、よく母方の実家に預けられていた。
他にも親戚と旅行したりしたりしてらしい。家族旅行はしたことない。



そんな中に誰が家族で誰が家族か分からないような環境に私はいた。

一番家族の集まる夕食の時間に話されることは仕事の事と知らない親や祖母たちの知り合いの話だ。私には分からない話だ。(夕食時出なくてもこの家族はそんな会話が殆どだ。)

夕食時はテレビが流れてたので興味あるなしに関係なくただそれを見ながらご飯を食べていた。

この時点で私は家族に入れてないと感じてたのかもしれない。
感じてなかった場合は家族を家族として認識できてなくて家族という名の他人の集まりと考えてかもしれない。その辺は幼い頃のことなので覚えてない。



そんな生活の中、私が保育園に上がる頃に弟が生まれた。
弟は今となっては超の付くような野球バカの坊主だが当時は可愛らしかった。

私の遊びで着ていた玩具のドレスやスカートを僕も着たい!という程にだ。フリフリのエプロンを着てぶりっ子なポーズをしている写真も残っている。

そんな弟が生まれた頃だろうか少し大きくなってからだろうか。祖父が定年退職をした。
弟は私と違い祖父にきちんと面倒を見てもらっていた。祖父を通じて弟は家族の中へと入っていった。


私は入れなかった家族の中にすんなりと。そして弟が野球を始めると父が弟の野球について行くようになり、弟は次第にみんなと家族になった。


私の剣道は練習だろうと稽古だろうと誰もついてきてくれないのに・・・と正直嫉妬していた。


父は言う。「弟が野球を始めて俺は父親になれたのだ」と。
まるで、私の父親にもなったような言い方だ。でも、内心、お前がなったのは弟の父親だけで私の父親には未だになれてねーからななんて思ったりする。


私が中学の頃私には反抗期があった。正直荒れていた。幼なじみ達と比べればマシかもしれないがそれでも荒れていた。その事により家族は私の機嫌を伺うようになった。

正直それが嫌な気持ちもあったが言えずに心に隠していた。


祖父が亡くなって数年、弟がいる野球のために家を出て数年、私は、病みに病んで今までためてたものを爆発させた。家族に思ってたこともいくつか伝えた。家族の考えは少しは変わったようだ。 
あれから、あと数ヶ月で一年になる。


お互いに歩み寄ろうとしてるとは思う。


私は今、家族に入れてるだろうか。これから仮面のない家族になれるだろうか。