あーたろのゆるりと。

日々のことやら伝えたいことやら

虐待と虐待された人の話。

精神的、肉体的虐待の話をします。過去のトラウマとかフラッシュバックとかある人とか読むのご注意を。辛いかもとか思ったら途中でも読むのやめてね。私は、責任とれないので自己責任でおねがいします。苦情は受け付けません。











虐待って何なんですかね?どこからが虐待何ですかね?難しいですね。
そんな時はネットに聞いてみましょう。

スマホGoogle先生に聞いたら

ぎゃくたい
【虐待】
《名・ス他》むごい扱いをすること。「動物を―する」

と出てきました。よく分からん。強いて言うならそれは分かってるもっと細かく知りたいよ。情報少なすぎ。

ってことでWikipedia先生に聞いてみました。

虐待(ぎゃくたい、英:abuse, maltreatment)とは、むごい扱いをすること。繰り返しあるいは習慣的に、暴力をふるったり、冷酷・冷淡な接し方をすること。

具体的な内容は様々で、肉体的暴力をふるったり、言葉による暴力をふるったり(暴言を浴びせたり、侮辱したり)、いやがらせをしたり、無視をする、等々の行為を繰り返し行うことを言う。


ということらしいです。はい、やっぱり分かりません。

もしかしたら、子供が虐待だと思えば虐待だ、という人がいるかもしれません。いないかもしれないけど。
もしいるならその人に伝えたい。

子供が虐待を虐待と思うことは辛く虐待じゃないとこれぐらいは普通、たいしたことないと、思い込むことで楽になれる子もいる。
虐待を虐待と認めるということは世間的に見れば虐待してくる人を酷いことをする、ダメな人だと認めることなのだ。そして、虐待をする人はされる子、人と親しい関係、もっと言えば親子関係なことが多いのではないだろうか。つまり虐待を認めてしまえば親を酷いことをする、ダメな人だと認めることになるのだ。そんな風に認めてしまえば子供は親から愛されてないと感じる子がほとんどだろう。
それは辛いことだと想像するのはたやすい。
だから、虐待を認められない、虐待と思ってない子は多いと思う。


かくいう私も虐待されてたということを認めきることは出来ないのです。今でも、殴られたり体が投げ捨てられたり、裸足で外に出されたり、放任されたり、人格否定するようなこと言われたり、冗談とはいえ捨てると脅されるかのように言われたことは普通のことだと思うこともある。いや、これ冷静に考えて普通じゃないな。それでも、普通だと思うことがあるのです。


そんなされてたことを認めることの難しいが虐待。それをされてきた子は、人は、その人から虐待が無くなれば苦しくなくなるかと言うと違う。

人によっては普段は普通にしててもフラッシュバックで苦しむ人もいる。人によっては虐待されてきた時に親など虐待する人の顔色をうかがってるうちに自分の気持ちを無視する癖が無意識のうちについて自分の気持ちを無視して他人の顔色を伺い人他人の気持ちを優先するようになる。だが、そんなのは苦しいのだ。何十年も続けば限界が来る。精神的に病む。私のように。


虐待を過去のことでしょという人もいる。でも、された本人は過去の事じゃ済まないのだ。

虐待はそれが無くなっておしまいではない。現在進行形で虐待されている子に気づくことやそこに注目することも大事だけどその後にメンタル的なケアが必要でその事に私は、もっといろんな人に知ってほしい。

虐待がなくなっておしまいじゃないことを知ってほしい。


1番はこの世から虐待がなくなることは無理に等しいだろう。だからこそ、虐待されたその後を気にすることが大切なのではと私は思う。


それを知ってほしい。
いるか分かんないけどもしいたら読んでくれた方、読んでくれてありがとうございます。