あーたろのゆるりと。

日々のことやら伝えたいことやら

嬉しき有難いこと。

最近、ブログ読んでるよとか読みやすくて好きだよとか言ってくれる人がたまにいる。

 

ブログを書くと☆をつけてくれる人がいる。

 

それがとても嬉しくて、とても有難い。

 

こんな私なんかが一方的に書いてるブログでそんなことを言ってくださるなんて・・・

そんな気持ちになる。

 

こんな私としいうのはどうやら自虐になるらしい。でも、褒められた経験もほとんど無ければ得意なこともない勉強も運動も苦手だ。そんな人間の私にはこんな私としか思えない。

 

でも、そんな私の書いた文を、ブログを読んでくださってる。褒めてくださってる。☆をつけて下さってる。とても嬉しく、とても有難い。

 

読みやすいなんて言われると驚く。ゆるりとなんてタイトルをしてるが正直、内容はゆるりとどころか重たいものが多いだろう。そんな文字の羅列を、このブログを読みやすいと言ってくださる。とても嬉しく、とても有難い。

 

 

有難いとは有ることが難しいと書いて有難い、ありがたいと読む。

ありがとうも感じにすると有難う、有ることが難しいという字で出来ている。

 

私は、それを知って以来、本当に有難い時は有難いと漢字で伝えるようにしている。

 

人にとっては大したことじゃなくても私にとっては有ることが難しいそんな事が多いのだ。そんな行為や言葉を私にかけてくれる人がいる。本当に有難い。感謝の気持ちでいっぱいだ。

今日のひとこま。

散らかった部屋で寝っ転がってボケーッとしてたら空が目に入った。

空には雲があった。雲を見ながら思う。あぁ、私は、雲が何に見えるか考えるのが好きだったなぁと。
病んでから今までの自分が空っぽに思えてたから少し嬉しくなった。


そんなことを考えていると、



ドッドッ ドッドッ ドッドッ ドッドッ ・・・



なんて音が聞こえた。まるで心臓の音の様だった。
実際は、近くの駐車場に止まった車の音楽が音漏れしてるだけだろう。なんてでかい音を車で流してんだ・・・

でも、その音は私の心臓の音のように思えた。

寝っ転がったまま空を、雲を、眺めながら、まるで私の心臓の音にも思える音を聞きながら

あぁ、生きてるんだなぁ。

ただ、それだけ思った。純粋に生きてるんだなぁとそれだけ。


しばらくすると心臓の音のような車の音は聞こえなくなった。
窓から見えてた雲も流れていった。


あぁ、世界はこうして流れてるのか。


と思った。

今の私には病むほどの悩みがあるけれど考えても考えても答えは出ない。ならば流れる世界にもう1度流されてみようと思った。

でも、前と同じように流されるだけじゃまた病む。今度は自分の意志を持って、心を殺さず流されよう。意志が、心が、流れに逆らいたいと思ったらその時は流れに逆らおう。

そんなことを思った今日のひとこま。

ゆるりとしてないゆるりとブログがゆるりとしてる。

最近、ブログ、更新してなかったですね。


書いてないわけじゃないんですよ。書きかけのブログがふたつほどあるんですよ。
それをね、書いてあげたいんだけど時間があまり取れなかったり書いてるとメンタルやられて休憩挟んだりして・・・書き終わるまでに時間がかかっちゃってるんですよ。

でも、自分がこの性格に、メンヘラになった理由を文字にして整理したいためにも書きたいんですよ。


だから、ゆるりと進行中です。


ゆるりとしたっていいじゃない。このブログのタイトル、あーたろのゆるりと。なんだから。

ゆるりとブログだからいいじゃない。


そんな言い訳めいた更新でした。

「叱る」と「怒る」とは

 

 

皆さんは親や周りの人に叱られたり怒られたりしたことはありますか?


そもそも、「叱る」と「起こる」この違い、皆さんご存知ですか?

私は、この2つが違うと言う事をここ半年ぐらいで知り、ここ数ヶ月で実感しました。

 

そもそも、「叱る」と「起こる」とはどう違うのでしょうか。

私は説明が下手くそなのでGoogle先生に聞いてみて出てきた答えの一つを一部載せますね。

 

 

怒るは、「起こる」と同源で、「感情が高まる」の意味から、腹を立てること。
叱るは、目下の者の言動に対し、欠点を強くとがめ戒めること。
よく、「子供を怒るのではなく、子供を叱るように」と言われるのは、怒るは自身の感情を抑えられず表に出すことで、叱るは子供のことを思い指導することをいうためである。


(中略)


一方、「叱る」は教育的な指導を表す言葉であるため、「叱る」に「怒る(腹を立てる)」の意味はない。

(引用先:「怒る」と「叱る」の違い | 違いがわかる事典

 

要するに感情任せになるか、落ち着いてただダメなことをダメだよと伝え、教えることではないかと私は、思っております。

 

 

さて、冒頭のあたりで私、言いましたね。数ヶ月で叱ると怒るの違いを実感したと。

端的に私のされてきた子育て方針を言うと叱るではなく怒るでした。

もしかしたら、叱るも記憶に無いだけであったかも知れませんが覚えてないのでその当たりは知りません。

 



そんな私の叔母が数ヶ月前まで里帰り出産のために2歳の娘を連れて実家へ帰省してました。


私は、お手伝い(主に2歳の従姉妹の世話)に何度も行っていました。仕事が休職中なのでね、時間はありますし年の離れた従姉妹が多いため幼い子の世話は慣れておりました。

 


そんな感じで従姉妹と叔母の親子に触れ合って感じた、感心したことがあります。

それは、叔母は娘に対して一切と言っていいほど「怒る」をしないんです。何か悪いことをするとそれは○○でダメだからやめよう、やめてと優しく「叱る」のです。怒られて育ってきた私にはある種の衝撃でした。

 

私、今、叔母の事で一切と言っていいほどと言いましたね。全くや一切しないではなく一切と言っていいほどしないと。それに関してはこんな事がありました。


2歳の従姉妹は好奇心旺盛でなんでも自分でしたがります。また、ハサミが大好きです(2歳児がハサミ大好きってちょっと怖いですね。)


その従姉妹がハサミの刃の部分を触って遊んでたんですよね。そりゃ、母である叔母は叱ります。ですがいくら言っても従姉妹は母のいうことを無視し刃の部分を触り続けます。そこで叔母はつい、大きな声で

 

「○○ちゃん、ダメっ!!!」

 

と叫びました。娘が怪我する心配でつい叫んでしまったんですね。


でも、その後の行動が凄かったです。娘に近寄り娘の顔を両手で包み込み、目を合わせるようにしながらこういうのです。

「○○ちゃん、ごめんね、びっくりしたね、ごめんね。でもね、○○ちゃんのしてること危ないことなの。痛い痛いになっちゃうの。ママもおっきい声出してごめんね、でも、○○ちゃんのしてる事もダメなの」と謝りつつ冷静に説明をしてました。


メンヘラ特有のごめんなさい、ごめんなさいとは違います。ただ冷静に伝える、それだけでした。

 


私にはとてつもなく、衝撃的でした。積極的にで叫んだことを謝ってる・・・私の父親なら叫びに暴力が付き謝ることは一切ない。

真逆過ぎてその時はただただ衝撃的でした。

 

これが唯一私が全くや一切と言わず一切と言っていいほどと言った理由です。叫んだのはもしかしたら、「起こる」にはいるかもしれません。

ですが、その直後に娘に謝りつつ「叱る」をしたのです。これはもう、「起こる」をした事を無かったことにしてもいいのでは?と私は思います。それが一切と言っていいほどと表現した理由です。

 

 

 

叔母の場合は極端かも知れません。でも、「起こる」と「叱る」は全く別物であってどちらかをされてきたかによりその子の性格育成に関わってくると私は思っています。

 

 

さて、ここで最初の質問と似た質問をもう1度します。



貴方は「叱る」をされた事がありますか?それとも「怒る」ばかりされてきましたか?

 


 

今、お子さんがいる方、小さな子と関わりのある大人の方。

「叱る」と「怒る」は別物だと知ってください。そして小さな子が悪いことをした時は、なるべく、なるべくでいいです、なるべく「怒る」ではなく「叱る」をしてあげてください。

 

子供は素直です。すぐに周りの反応に影響されます。怒られ続けると自分を自分で責めてしまうように育つ場合もあります。なので、なるべく「叱る」をしてあげてください。


もし、「怒る」をしてしまっても自分を責めなくていいです。かわりに、今回は「怒る」をしちゃったけど次からはなるべく「叱る」ができるようになろう。そう思っていただくだけでいいです。

 



「怒る」をされて育った貴方。貴方は、自分を責めることが多いと思います。ですが、そんなに自分を責めなくてもいいんです。

「怒る」をされながら育ってこれた貴方はとても強い人です。そこを悲しく思う必要はありません。

 

私は私が嫌いでそんな私が私は嫌い

死にたい私がいる。
殺されたい私がいる。
自殺したい私がいる。

死にたいと思う自分を嫌う私がいる。

殺されたいと思う自分も嫌い、責める私がいる。

自殺したいのにまだ生きてる自分を嫌い嘲笑う自分がいる。


ポジティブな私はすぐ何かやらかす。調子に乗る。
そんな自分が嫌いな私がいる。

根暗でネガティブな私がいる。直ぐに暗いことを考える。自分を責めまくる。
そんな自分が嫌いな私がいる。


ポジティブからネガティブに一瞬に変わる時がある。そんな自分が嫌いな私がいる。


私のことをやばいやつだから早く殺せという私がいる。すこし解離症状気味かもしれない。こいつが1番タチ悪い。
お前が死ねよと思うぐらいその自分が嫌いな私がいる。


自分のことを嫌いだと思う自分が嫌いだと思う私がいる。でも、その私も自分が嫌いだ。矛盾してる。
だからその自分を嫌いな私もいる。
これはもうエンドレスだ。



そんな自分を私は受け入れようとした。だけどみんな、主張が真逆過ぎて受け入れきれなかった。
そんなものは所詮、偽善にみえた。そのときその自分も嫌いな自分になった。


この世で1番嫌いなもの。それはいつも隠して見て見ぬふりをするが私という存在なのだ。

私を殺そうとした父親よりも自分が嫌いだ。


嫌いだらけ。

何時に寝るのが正しい生活習慣?

正しい生活習慣って何なんでしょうね。病医で生活習慣(主に睡眠)が乱れてるから自律神経が〜とか言われて、それを聞いた母が私の睡眠時間などを正そうとしてすごい早寝(10時に薬飲んで10時半頃には寝る)させらてました。


でも、そもそも母親と私の睡眠時間ってぜんぜん違いすぎて、寝るの早すぎて起きるのも早すぎになってしまってます。
起きるの早いとなんだかねれてない気がする。


元々母の実家は8時から9時頃には寝るの当たり前、早いと5時にご飯食べて即寝る人いるような家です。なので毎日9時頃には母はリビングに入るもののほぼ寝てます。たまに経理の仕事しなきゃ・・・とうとうとしながらやってるときもありますが・・・途中で眠り出してもう無理寝ちゃうし明日やろ!ってなるタイプです。

9時台に見たいドラマがあると頑張って起きてみてるんですがCMになった途端寝だしてCM終わったから起こすと「そうだね!見なきゃね!」と言った次の瞬間に寝てます。もう意味わからん。
始まる前に「今日こそ寝ないで見るぞ!」と言っていお前はどこに行ったんだよ。
しかし、朝5時から仕事やら家事やらしてたりする母にはこれぐらいじゃないと辛いのかも知れませんね。(でも、母、結構昼寝してるぞ?)




そんな母に合わせられて母にとっては寝るのが遅い10時に薬を飲み10時半には寝るという私にとっては無茶苦茶早い時間に寝されられておりました。
働いてたときに6時出勤の日もありましたがその前日でも私はそんなに早く寝たことねーぞじょうたいです。


うちの家は母の実家と違いみんな寝る時間バラバラなので正しい寝る時間とは?はて?となっています。


そもそも私の寝る時間がバラバラすぎて私のペーストでの寝る時間?毎日違うから分かんない。日付が変わる前に寝れたら早いんじゃね?ってかんじでした。
中学の頃は1時に寝れば良い方で3時とかまで普通に起きてました。

高校の時はどうだったかな?それこそ毎日バラバラで何時に寝たとか記憶にない。強いて言うなら夏休みなどの長期休暇は4時まで起きてきて周りが起きてくる前になんとか寝なきゃ怒られるで寝たり、宿題、TV付けつつやってたら5時とか6時とかに母が起きてきてあんた寝てないの?もう寝たら?なんて言われたことも何度かありましたね。


社会人になってからも12時に寝れば早い方で、普通に1時とかまで起きてましたね。


こんな極端な私と母の寝る時間。母に合わされたのはいいものの本来の自分のペースじゃなくて寝るの早すぎて夜が忙しいし朝は早く起きすぎるせいで実際には充分寝れてても寝れてない気がしてしまいます。


なので今日から私の睡眠管理をしてた母と寝るのを辞め、自分のペースで寝ることにしました。


しかし、ここでも問題発生。毎日寝る時間がバラバラだった私は何時に寝ればいいの?寝る時間、毎日同じにするとして私にとってのぺースで自分のねる時間とは何なの?となっています。


寝る時間が分からない。誰か教えてくれ。助けてくれ。みんなは何時に寝てるんだい?そんな感じです。本当、自分は何時に寝てるよーってのでも教えてくれると嬉しいです。

何も決めれないあーたろ

以前のブログにちらっと書いた元彼にこの記事の漫画を読めと言われたことがあります。
その内容は、

男「ご飯、どこに食べにいく?どんなのがいい?」
女「うーん。どこでもいいよ」
〜行くところはカレー屋に決まりカレー屋にいく〜
男「何にする?」
女「んー・・・どうしようかな・・・」
男「俺、このカレーにする」
女「じゃぁ、私もそれにしようかな」
〜カレーが運ばれ食べ始める〜
男「味どう?」
女「・・・そういえば私、カレー苦手だったんだ・・・」

といった感じでした。正確には心の声も書いてあったけど省略。
これを読ませて言った元彼から私が読んでから言われた言葉は「この女の言ってることは全てが全て失礼だ!」でした。

ですが、あーたろはその女と似たタイプです。何食べたい?と聞かれればなんでもいいよと言い外食で食べるものを選ぶのには凄く時間かかる。流石に嫌いなものを頼むことはありませんが・・・w





Twitterでも長々とかいてたんですが、私は何かを決めることや選ぶことがとても苦手です。
でも、優柔不断かというとそれはちょっと違うなという事に最近気が付きました。



さて、あーたろは何故、決める、選ぶのが苦手なのでしょうか。

それは幼い頃から私が選択する場が少なかったのと、異常なまでに周りの空気を読んだり世間体を気にする子だったからです。



選択する場が少なかったのは理由は簡単にいうと可愛がられていたからなんですね。

可愛がられていたのと選択する場が少ないってどういうこと?となってる方が多いと思います。そこについて説明しますね。


親戚や家族など私を可愛がってくれた人の殆どが何かを普通ならあーたろが選ぶような事でも選んでくれたんですね。

具体的にいうと、うさぎと猫と犬のぬいぐるみがあるとします。そしたら普通は私がこのぬいぐるみで遊びたい!(もしくはこのぬいぐるみが欲しい!)と主張するか適当にとったコップを使うんだと思います。ですが、周りの人達は「あーたろちゃんは、○○だから猫さんのぬいぐるみだよね。」と言いながら猫のぬいぐるみを渡してきます。

これだけだとまぁ、普通に感じるんでしょうがそこに一つ普通ではあまり無いことがありました。あーたろには他のものを選ぶなんて権利はありません。うさぎのぬいぐるみのが良くてもそれを伝えることはいけないこと・・・今思えばそんなことではなかったかもしれないのですが、当時の私はそう思っていたのです。

ぬいぐるみぐらいと思うかもしれません。しかし、ぬいぐるみだけでは無かったのです。服や食べ物、下手すると折り紙の色まで。何から何まで周りが選んでくれました。


そんなのが続くと選ぶ、決めるが苦手になりました。


ですが、人生には大きな選択をしなければいけないことがありますよね。進学、就職のタイミング、就職先などなど。そういった選択をするような年齢になる頃には私は「○○すべきだよ」「○○のがいいんじゃない?」「○○のが向いてるよ」こう言った言葉は全て○○にしないといけないと無意識に思ういう歪みに歪んだ思考回路になっていました。

なのでいままでの人生の大きな選択も自分でしたのは仕事を休職するか辞めるかというものしかありません。(それですらも無意識に周りの空気を読んできめたのかもしれない)






さて、あーたろが決める、選択が苦手な理由がもうひとつありましたね。異常なまでに空気を読んだり世間体を気にしたりする。

この原因は私を取り巻く環境により、私はこの場合はこうしなきゃいけないという思考回路になっていました。保育園児の頃に青は男の子の色だから青色のものは選んじゃいけない、ピンクは女の子の色だからピンクのものは選んでいい、赤は・・・えっと戦隊モノだと男だけど赤いものを使う女の人は多いから・・・男も女も使っていい色?
実際は、色と性別は本来関係ないし青もピンクも赤も男だろうと女だろうと好きに選んでいいんです。当たり前です。でも、そんな思考回路になるほど周りを気にしていたのです。


私は当時、おジャ魔女どれみセーラームーンよりも仮面ライダーや戦隊モノのが大好きでした。(おジャ魔女どれみセーラームーンも好きだけどそれ以上に好きだった。)
ですが、それは言ってはいけないことだと思ってました。なのでおジャ魔女どれみセーラームーンのが好きなフリをしてました。

スーパーに祖母と出かけて何が欲しい?買ってあげるよと言われた時におジャ魔女どれみのソーセージを指差し「私、これがいい!!!」と言いながら横目で隣に並ぶ戦隊モノのソーセージを欲しいなと横目で見てるということもよくありました。ていうか、しょっちゅうです。



そんなこんなであーたろは決めたり選択したりすることが苦手です。ていうか出来ないに近いです。
なのでお昼何食べたいか聞かれてもなんでもいいとしか答えれません。



そんな人もいるってことを知ってください。心の奥底でもいいんで留めといて下さい。決めれない人がいてもその人を責めないであげてください。