あーたろのゆるりと。

日々のことやら伝えたいことやら

「叱る」と「怒る」とは

 

 

皆さんは親や周りの人に叱られたり怒られたりしたことはありますか?


そもそも、「叱る」と「起こる」この違い、皆さんご存知ですか?

私は、この2つが違うと言う事をここ半年ぐらいで知り、ここ数ヶ月で実感しました。

 

そもそも、「叱る」と「起こる」とはどう違うのでしょうか。

私は説明が下手くそなのでGoogle先生に聞いてみて出てきた答えの一つを一部載せますね。

 

 

怒るは、「起こる」と同源で、「感情が高まる」の意味から、腹を立てること。
叱るは、目下の者の言動に対し、欠点を強くとがめ戒めること。
よく、「子供を怒るのではなく、子供を叱るように」と言われるのは、怒るは自身の感情を抑えられず表に出すことで、叱るは子供のことを思い指導することをいうためである。


(中略)


一方、「叱る」は教育的な指導を表す言葉であるため、「叱る」に「怒る(腹を立てる)」の意味はない。

(引用先:「怒る」と「叱る」の違い | 違いがわかる事典

 

要するに感情任せになるか、落ち着いてただダメなことをダメだよと伝え、教えることではないかと私は、思っております。

 

 

さて、冒頭のあたりで私、言いましたね。数ヶ月で叱ると怒るの違いを実感したと。

端的に私のされてきた子育て方針を言うと叱るではなく怒るでした。

もしかしたら、叱るも記憶に無いだけであったかも知れませんが覚えてないのでその当たりは知りません。

 



そんな私の叔母が数ヶ月前まで里帰り出産のために2歳の娘を連れて実家へ帰省してました。


私は、お手伝い(主に2歳の従姉妹の世話)に何度も行っていました。仕事が休職中なのでね、時間はありますし年の離れた従姉妹が多いため幼い子の世話は慣れておりました。

 


そんな感じで従姉妹と叔母の親子に触れ合って感じた、感心したことがあります。

それは、叔母は娘に対して一切と言っていいほど「怒る」をしないんです。何か悪いことをするとそれは○○でダメだからやめよう、やめてと優しく「叱る」のです。怒られて育ってきた私にはある種の衝撃でした。

 

私、今、叔母の事で一切と言っていいほどと言いましたね。全くや一切しないではなく一切と言っていいほどしないと。それに関してはこんな事がありました。


2歳の従姉妹は好奇心旺盛でなんでも自分でしたがります。また、ハサミが大好きです(2歳児がハサミ大好きってちょっと怖いですね。)


その従姉妹がハサミの刃の部分を触って遊んでたんですよね。そりゃ、母である叔母は叱ります。ですがいくら言っても従姉妹は母のいうことを無視し刃の部分を触り続けます。そこで叔母はつい、大きな声で

 

「○○ちゃん、ダメっ!!!」

 

と叫びました。娘が怪我する心配でつい叫んでしまったんですね。


でも、その後の行動が凄かったです。娘に近寄り娘の顔を両手で包み込み、目を合わせるようにしながらこういうのです。

「○○ちゃん、ごめんね、びっくりしたね、ごめんね。でもね、○○ちゃんのしてること危ないことなの。痛い痛いになっちゃうの。ママもおっきい声出してごめんね、でも、○○ちゃんのしてる事もダメなの」と謝りつつ冷静に説明をしてました。


メンヘラ特有のごめんなさい、ごめんなさいとは違います。ただ冷静に伝える、それだけでした。

 


私にはとてつもなく、衝撃的でした。積極的にで叫んだことを謝ってる・・・私の父親なら叫びに暴力が付き謝ることは一切ない。

真逆過ぎてその時はただただ衝撃的でした。

 

これが唯一私が全くや一切と言わず一切と言っていいほどと言った理由です。叫んだのはもしかしたら、「起こる」にはいるかもしれません。

ですが、その直後に娘に謝りつつ「叱る」をしたのです。これはもう、「起こる」をした事を無かったことにしてもいいのでは?と私は思います。それが一切と言っていいほどと表現した理由です。

 

 

 

叔母の場合は極端かも知れません。でも、「起こる」と「叱る」は全く別物であってどちらかをされてきたかによりその子の性格育成に関わってくると私は思っています。

 

 

さて、ここで最初の質問と似た質問をもう1度します。



貴方は「叱る」をされた事がありますか?それとも「怒る」ばかりされてきましたか?

 


 

今、お子さんがいる方、小さな子と関わりのある大人の方。

「叱る」と「怒る」は別物だと知ってください。そして小さな子が悪いことをした時は、なるべく、なるべくでいいです、なるべく「怒る」ではなく「叱る」をしてあげてください。

 

子供は素直です。すぐに周りの反応に影響されます。怒られ続けると自分を自分で責めてしまうように育つ場合もあります。なので、なるべく「叱る」をしてあげてください。


もし、「怒る」をしてしまっても自分を責めなくていいです。かわりに、今回は「怒る」をしちゃったけど次からはなるべく「叱る」ができるようになろう。そう思っていただくだけでいいです。

 



「怒る」をされて育った貴方。貴方は、自分を責めることが多いと思います。ですが、そんなに自分を責めなくてもいいんです。

「怒る」をされながら育ってこれた貴方はとても強い人です。そこを悲しく思う必要はありません。

 

私は私が嫌いでそんな私が私は嫌い

死にたい私がいる。
殺されたい私がいる。
自殺したい私がいる。

死にたいと思う自分を嫌う私がいる。

殺されたいと思う自分も嫌い、責める私がいる。

自殺したいのにまだ生きてる自分を嫌い嘲笑う自分がいる。


ポジティブな私はすぐ何かやらかす。調子に乗る。
そんな自分が嫌いな私がいる。

根暗でネガティブな私がいる。直ぐに暗いことを考える。自分を責めまくる。
そんな自分が嫌いな私がいる。


ポジティブからネガティブに一瞬に変わる時がある。そんな自分が嫌いな私がいる。


私のことをやばいやつだから早く殺せという私がいる。すこし解離症状気味かもしれない。こいつが1番タチ悪い。
お前が死ねよと思うぐらいその自分が嫌いな私がいる。


自分のことを嫌いだと思う自分が嫌いだと思う私がいる。でも、その私も自分が嫌いだ。矛盾してる。
だからその自分を嫌いな私もいる。
これはもうエンドレスだ。



そんな自分を私は受け入れようとした。だけどみんな、主張が真逆過ぎて受け入れきれなかった。
そんなものは所詮、偽善にみえた。そのときその自分も嫌いな自分になった。


この世で1番嫌いなもの。それはいつも隠して見て見ぬふりをするが私という存在なのだ。

私を殺そうとした父親よりも自分が嫌いだ。


嫌いだらけ。

何時に寝るのが正しい生活習慣?

正しい生活習慣って何なんでしょうね。病医で生活習慣(主に睡眠)が乱れてるから自律神経が〜とか言われて、それを聞いた母が私の睡眠時間などを正そうとしてすごい早寝(10時に薬飲んで10時半頃には寝る)させらてました。


でも、そもそも母親と私の睡眠時間ってぜんぜん違いすぎて、寝るの早すぎて起きるのも早すぎになってしまってます。
起きるの早いとなんだかねれてない気がする。


元々母の実家は8時から9時頃には寝るの当たり前、早いと5時にご飯食べて即寝る人いるような家です。なので毎日9時頃には母はリビングに入るもののほぼ寝てます。たまに経理の仕事しなきゃ・・・とうとうとしながらやってるときもありますが・・・途中で眠り出してもう無理寝ちゃうし明日やろ!ってなるタイプです。

9時台に見たいドラマがあると頑張って起きてみてるんですがCMになった途端寝だしてCM終わったから起こすと「そうだね!見なきゃね!」と言った次の瞬間に寝てます。もう意味わからん。
始まる前に「今日こそ寝ないで見るぞ!」と言っていお前はどこに行ったんだよ。
しかし、朝5時から仕事やら家事やらしてたりする母にはこれぐらいじゃないと辛いのかも知れませんね。(でも、母、結構昼寝してるぞ?)




そんな母に合わせられて母にとっては寝るのが遅い10時に薬を飲み10時半には寝るという私にとっては無茶苦茶早い時間に寝されられておりました。
働いてたときに6時出勤の日もありましたがその前日でも私はそんなに早く寝たことねーぞじょうたいです。


うちの家は母の実家と違いみんな寝る時間バラバラなので正しい寝る時間とは?はて?となっています。


そもそも私の寝る時間がバラバラすぎて私のペーストでの寝る時間?毎日違うから分かんない。日付が変わる前に寝れたら早いんじゃね?ってかんじでした。
中学の頃は1時に寝れば良い方で3時とかまで普通に起きてました。

高校の時はどうだったかな?それこそ毎日バラバラで何時に寝たとか記憶にない。強いて言うなら夏休みなどの長期休暇は4時まで起きてきて周りが起きてくる前になんとか寝なきゃ怒られるで寝たり、宿題、TV付けつつやってたら5時とか6時とかに母が起きてきてあんた寝てないの?もう寝たら?なんて言われたことも何度かありましたね。


社会人になってからも12時に寝れば早い方で、普通に1時とかまで起きてましたね。


こんな極端な私と母の寝る時間。母に合わされたのはいいものの本来の自分のペースじゃなくて寝るの早すぎて夜が忙しいし朝は早く起きすぎるせいで実際には充分寝れてても寝れてない気がしてしまいます。


なので今日から私の睡眠管理をしてた母と寝るのを辞め、自分のペースで寝ることにしました。


しかし、ここでも問題発生。毎日寝る時間がバラバラだった私は何時に寝ればいいの?寝る時間、毎日同じにするとして私にとってのぺースで自分のねる時間とは何なの?となっています。


寝る時間が分からない。誰か教えてくれ。助けてくれ。みんなは何時に寝てるんだい?そんな感じです。本当、自分は何時に寝てるよーってのでも教えてくれると嬉しいです。

何も決めれないあーたろ

以前のブログにちらっと書いた元彼にこの記事の漫画を読めと言われたことがあります。
その内容は、

男「ご飯、どこに食べにいく?どんなのがいい?」
女「うーん。どこでもいいよ」
〜行くところはカレー屋に決まりカレー屋にいく〜
男「何にする?」
女「んー・・・どうしようかな・・・」
男「俺、このカレーにする」
女「じゃぁ、私もそれにしようかな」
〜カレーが運ばれ食べ始める〜
男「味どう?」
女「・・・そういえば私、カレー苦手だったんだ・・・」

といった感じでした。正確には心の声も書いてあったけど省略。
これを読ませて言った元彼から私が読んでから言われた言葉は「この女の言ってることは全てが全て失礼だ!」でした。

ですが、あーたろはその女と似たタイプです。何食べたい?と聞かれればなんでもいいよと言い外食で食べるものを選ぶのには凄く時間かかる。流石に嫌いなものを頼むことはありませんが・・・w





Twitterでも長々とかいてたんですが、私は何かを決めることや選ぶことがとても苦手です。
でも、優柔不断かというとそれはちょっと違うなという事に最近気が付きました。



さて、あーたろは何故、決める、選ぶのが苦手なのでしょうか。

それは幼い頃から私が選択する場が少なかったのと、異常なまでに周りの空気を読んだり世間体を気にする子だったからです。



選択する場が少なかったのは理由は簡単にいうと可愛がられていたからなんですね。

可愛がられていたのと選択する場が少ないってどういうこと?となってる方が多いと思います。そこについて説明しますね。


親戚や家族など私を可愛がってくれた人の殆どが何かを普通ならあーたろが選ぶような事でも選んでくれたんですね。

具体的にいうと、うさぎと猫と犬のぬいぐるみがあるとします。そしたら普通は私がこのぬいぐるみで遊びたい!(もしくはこのぬいぐるみが欲しい!)と主張するか適当にとったコップを使うんだと思います。ですが、周りの人達は「あーたろちゃんは、○○だから猫さんのぬいぐるみだよね。」と言いながら猫のぬいぐるみを渡してきます。

これだけだとまぁ、普通に感じるんでしょうがそこに一つ普通ではあまり無いことがありました。あーたろには他のものを選ぶなんて権利はありません。うさぎのぬいぐるみのが良くてもそれを伝えることはいけないこと・・・今思えばそんなことではなかったかもしれないのですが、当時の私はそう思っていたのです。

ぬいぐるみぐらいと思うかもしれません。しかし、ぬいぐるみだけでは無かったのです。服や食べ物、下手すると折り紙の色まで。何から何まで周りが選んでくれました。


そんなのが続くと選ぶ、決めるが苦手になりました。


ですが、人生には大きな選択をしなければいけないことがありますよね。進学、就職のタイミング、就職先などなど。そういった選択をするような年齢になる頃には私は「○○すべきだよ」「○○のがいいんじゃない?」「○○のが向いてるよ」こう言った言葉は全て○○にしないといけないと無意識に思ういう歪みに歪んだ思考回路になっていました。

なのでいままでの人生の大きな選択も自分でしたのは仕事を休職するか辞めるかというものしかありません。(それですらも無意識に周りの空気を読んできめたのかもしれない)






さて、あーたろが決める、選択が苦手な理由がもうひとつありましたね。異常なまでに空気を読んだり世間体を気にしたりする。

この原因は私を取り巻く環境により、私はこの場合はこうしなきゃいけないという思考回路になっていました。保育園児の頃に青は男の子の色だから青色のものは選んじゃいけない、ピンクは女の子の色だからピンクのものは選んでいい、赤は・・・えっと戦隊モノだと男だけど赤いものを使う女の人は多いから・・・男も女も使っていい色?
実際は、色と性別は本来関係ないし青もピンクも赤も男だろうと女だろうと好きに選んでいいんです。当たり前です。でも、そんな思考回路になるほど周りを気にしていたのです。


私は当時、おジャ魔女どれみセーラームーンよりも仮面ライダーや戦隊モノのが大好きでした。(おジャ魔女どれみセーラームーンも好きだけどそれ以上に好きだった。)
ですが、それは言ってはいけないことだと思ってました。なのでおジャ魔女どれみセーラームーンのが好きなフリをしてました。

スーパーに祖母と出かけて何が欲しい?買ってあげるよと言われた時におジャ魔女どれみのソーセージを指差し「私、これがいい!!!」と言いながら横目で隣に並ぶ戦隊モノのソーセージを欲しいなと横目で見てるということもよくありました。ていうか、しょっちゅうです。



そんなこんなであーたろは決めたり選択したりすることが苦手です。ていうか出来ないに近いです。
なのでお昼何食べたいか聞かれてもなんでもいいとしか答えれません。



そんな人もいるってことを知ってください。心の奥底でもいいんで留めといて下さい。決めれない人がいてもその人を責めないであげてください。

私の髪型計画。


あーたろはただ今お仕事休職中です。

ヘラったメンタルはゆっくりと治して行きたいので長い期間休職するつもりです。(会社からしたら多分、迷惑なやつ)


会社には行けてないけど多少の外出は出来るので今までしたかったけどしたかった髪型、やれるだけやってやろうぜ!となっています。


今は金髪です。きんきんな金髪です。本当はクリーム色に近い薄いと言うか超絶明るい金髪にしたかったけど美容師に黒髪からその色はブリーチしても無理!と言われました・・・悲しい。
でも、結構周りから今の髪色は似合ってると言われてるでこの色でもいいかとおもっています。

ちなみに髪の毛伸びるの早すぎてもうプリンになりそうで早いよ!早すぎ!となっております。
プリンもちょっとやりたいけどもう少し金髪を楽しませて・・・


今度、美容院に行ったら美容師さんに相談して理想の明るい金髪ができるなら理想の金髪をやりたい。


他にもやりたい髪型いっぱいあります。


金髪の次はほぼ赤みたいなギリギリ茶髪みたいな色にしてバンドマンが良くやってるマッシュにする予定です。


それで髪の毛が伸びたら(今は後ろ姿男と間違えられそうなレベルに短い)薄いグレーにして下の方(毛先の方?)は明るいピンクにする予定です。(出来たら巻けるぐらいのながさがいいな。)


あと、メッシュもやってみたいので1日だけ染めれるスプレーみたいなやつ買ってそれでメッシュもやる予定です。


ツーブロもやりたいけどどうしよう。いつやろう?ピンクとグレーの後かな?


以上どうでもいい(あーたろにとってはどうでもよくない)あーたろの髪型計画でした。

あーたろはAC。

TwitterのTLでこんなツイートを見かけた。


親が、私のことACかもしれないから病院行けって言ってるけど病院行きたくなー


それに対して言いたいことがあるので、今回はACを自認してる私の思ってることなど話したいと思う。



そもそもACってご存知ですか?
AC、アダルトチルドレンを略した言葉ですね。


ここ最近は結構有名になってきているらしいので知ってる方も多いかもしれませんね。でも、認知度ってどれぐらないなんでしょうね?メンヘラな方なら知ってる方が多いと思うけど、ほかの方は?そうなると多分、みんなが知ってるとかそういうレベルにまでは達してはいないんじゃないかな。

実際、私がこの言葉を知ったのは、メンタルを大爆発した20歳の夏だった。精神疾患について調べまくってた中で見つけた一つだ。



言葉は知っていても意味は知らない人や意味を間違って覚えてる人も世の中にはいるようです。

子供みたいな大人と勘違いをしてる人もいるようですが違います。また、病気でもない。
ACの可能性があっても病気でもないので病院に行く必要はないです。



ACとは何か。大まかに言うと、元々は、アルコール依存症の親を持つ人がACだったそうなんですが、研究のゆえにちょっと、待てACってアルコール依存症の親を持つ人意外にも当てはまる人がいるぞ!ということとなり現在では機能不完全家庭で育った人たちのことを指している。


機能不完全家庭?なにそれ?って方いるよね。
機能不完全家庭とは、家庭内に対立や虐待、ネグレクトなどといった事があったりして家庭として本来、機能してなければいけないものが機能できてない家庭を言います。と、ざっくりと説明しても分かったような分からないような・・・って感じになるね。
詳しい説明をしだすと長くなるので、
まぁ、家庭内で何かしら問題がある家庭だよ!
って感じ。分かりやすくなったかな。

だけど問題のある家庭でそだったからといって必ずACになるとは限らない。ならない人もいる。それは生まれ持った精神の強さや遺伝なんかにもよってならない人もいるとのこと。


さて、そんな家庭で育ったACにもタイプがあったりする。そのあたりまで説明は私には出来ないので気になった方はググってください。詳しく説明してくれてるサイトがいくつもあります。


ACは機能不完全家庭で育ったことにより生きずらさを感じている。
それは、機能してない家族の中で生きるために適応して出来た癖や無意識下の思考回路だったりする。


ACとは、病気ではないと最初に書きましたが病気じゃないなら何なのか。それは特性や考え方、概念というものだとあーたろは思ってる。

だから、別に特性などが当てはまるからといって絶対に自認しなくてもいいもの。


自認すれば楽になるなら自認すればい。楽にならなかったり苦しんだりするなら自認しなくていい。

とはいえ、あーたろは自認したことによって苦しんだこともあります。うちの親がダメなのか、本当はACだと言い訳して甘えてるんじゃないだろうか、私の性格だと思ってたものがACの特徴なら私には性格はないのか、などと。


しかし!ACだからといって必ずしも親や家族が悪いとも限らない。愛をうまく感じ取れることができずACになった人もいる。だから、ACだから親を責めなきゃいけないかというとそうでもない。もちろん、ACを自認してるからって甘えではない。

(まぁ、親が許せないなら許さなくていいし親を責める気持ちがあるならその気持ちを否定する必要はない)


あーたろがACを自認した理由はACを調べた時、調べれば調べるほど私のことじゃん。私でしかないやん。とそれまで自分の性格だと思ってたものがほぼ全てと言っていいほど当てはまっていたからだ。


ACを自認して苦しんだりもした。けれど、私はACを自認することによって感じている生きずらさの理由や原因に気づけたし、生きずらさに対してどう対処していったらいいかなどよかったことが多い。

今は、ACの回復、癒しに取り組むことで少しでも私の生きずらさが軽くなればとおもっている。

また、ACを自認したことでインナーチャイルドの癒しという考え方を知ることも出来た。インナーチャイルドの癒しは難しいけれど少しづつ出来ていったらいいなと思っている。




ACという言葉、正しい意味を少しの人にでも知って欲しい、ACなのか悩んでる人にはどっちでもいいんだよ、ちなみにあーたろはこんな感じだよ、と言ったことを書きたかった。
上手くかけただろうか。分からないけど少しでも伝わるといいな。

依存するのが怖い。

私は、依存するのが怖くてタバコにもお酒にも手を出せない。もう、彼氏は作らない。

友人関係は程よく離れた距離、高校を卒業した今、1年に1回会ったり会わなかったり。お互いに連絡を取り合うことも少ない。おかげで依存せずに済んでいる。
元々、私が人と距離をとるタイプであったことも影響してるかもしれないが、それは置いておこう。


依存。私は、きっと依存しやすい。自分の経験からと言うより遺伝的に考えて、である。

父はニコチンとカフェインに依存してる。父方の祖父はニコチン依存が凄かった。癌になっても吸っていた。隠れて父や叔父のタバコの吸殻で吸うこともあった。そこまでするのかとなんだか悲しくなったのを覚えてる。

母方の祖父はアルコール依存症だ。止めなければ1日に一升瓶だけではすまないだろう。経済的にも宜しくないな、これ。
日本酒を飲みすぎた故に糖尿病になった。糖尿病になったから仕方なく日本酒を焼酎の水割りにした。酒を変えたからいいだろうと朝から酒を飲んでる。無意味だ。飲む回数ふえちゃってるじゃねーかよ。


そんな血が私には流れてるのだ。絶対、酒やタバコを始めたら依存する。依存する自信しかない。

だから、タバコは手を出せない。お酒は勧められたらちょっと飲む程度。勧められることもまずないので今のところ困らない。


そんな私に彼氏が出来た時、付き合いだしの彼はいった。「依存していいよ。むしろしてよ。してほしい。」その言葉に私は、甘えて依存してしまった。時が2年とたって彼は言った。「依存は良くない。治そう。」
は?って感じである。因みに彼も私に依存してるように感じる時が時たまあった。共依存のような言葉もよく吐いた。なんなんだお前。


まぁ、彼氏なんて初めてできたから距離感が近くなりすぎた故に依存したのかもしれない。受け入れてくれる彼に甘えたのかもしれない。
もう一度、恋人を作るのは依存しそうで怖い。

恋とやらはよく分からないからそのうち恋をすることが出来れば恋人を作るかもしれない。その時は依存しないように頑張ろう。


とりあえず、依存してしまいそうなので今の私はタバコも酒も恋もするつもりはない。